旅のお土産話トップへ戻る  旅のお土産話 vol.11

=トラウマの行方、その後=

2003年4月21日


東京より南600`にそそり立つ
孀婦岩にアプローチする
新生HINANO
HINANOは山男3名を乗せて「ABS」の桟橋を後にした。
目的地はソウフ岩。
詳しくはヨット・山小屋のページを。

奇しくも3年前の丁度この日、船積みされたHINANOは横浜大黒埠頭に到着したのだった。

この3年間は私達にとって、立ち止まり、振り返り、足踏みする時間、
「今まで通りにはイカンぞよ!」の日々。
2001年は混乱と狂気、悲劇と怒りが世界を覆った。燻り続ける戦火、9月11日のテロ、
報復作戦・・・。
地球規模の惨事で、どれほどの命が失われ、傷つき、苦しんでいることか・・・。
今なお、続く戦禍。
それに比べれば、なんてちっぽけな、ゼイタクな悩み、小さな出来事・・・。


2001年春以降の我が家の事件。

コーチャンが鬱病になったことも、父が闘病3ケ月で他界したことも、
親友が肺ガンで逝ってしまったことも、
鬱病が実はアルコール依存症によるもので、一生断酒するっきゃないってことも、
な〜んて些細なコトなんでしょう、
地球規模で考えれば・・・。

2002年1月8日 
 コーチャン、久里浜病院へ入院、3ケ月。アルコール依存症と闘う。
ニンゲン好きなコーチャンが採った入院生活作戦、
全国津々浦々の友人、知人に「入院通知」の葉書を投函。
人徳(笑)もあって、お見舞い状やら、お見舞いの人やら、ワンサカ。
病院側は「こんな人、はじめて!」フツーは内緒にするらしい。
皆様の応援、励まし、お気遣い、温かなお気持ちにどれほど支えられたことでしょう。多謝。

1971年4月4日
結婚記念に二人で
作った記念誌
YES・表紙

YES誌・より
4月4日  退院・また奇しくも結婚記念日・アルコール抜きの新生活がスタート!
「退院おめでとう!」と素直に喜べないのがこのビョーキ。
1回の入院で「一生断酒」に成功する人は2〜3%とか。
「ま、ビール一杯くらい」で逆戻り、入退院繰り返してる人達。
内臓障害をはじめ、突然死、脳障害、離婚、家庭崩壊・・・。暗い話し色々・・・。
コーチャンの場合、日本人離れして(笑)アルコール分解酵素が強く、内臓はすべてOK。
それで、あれだけガンガン呑めたンだ。「もう十生分位飲んだからいいンだ」と、
茶坊主に徹し、家でも、海でも、山でもお茶を入れてくれるコーチャン。
それまでは、酔いどれ艇長の異名のもと「サケ飲めないヤツはダチじゃねぇ」な〜んて。
まわりみんなが飲み仲間。
でも、見回せばいるんですねー、飲めない人、飲まない人、
カピンガマランギの人達もそうだったし、イスラム教国だって禁酒国だし。
アルコール抜きの食生活も爽やかなもんです、ソレナリニ。
枝豆や空豆、焼き鳥やお刺身つつきながらお茶する私達。平和デス。

YES誌・より
思えばこの30年間突っ走ってきた。
特にコーチャンはいつも動いてた。サービス精神旺盛で、ひとの分まで動いてた。
ここへ来て神様がブレーキをかけて下さったンでしょう。
立ち止まって足元を見る。うずくまって自分の影に抱かれる。
そよ風が頬を撫で、お日様のヴェールが肩に掛かる。
ふっとした、しあわせ・・・・。

地球規模の問題じゃない、天下国家の一大事でもない、
とってもちっぽけな事、日常の些細な事、でも、それが大切なン。
小さな命が集まってこの世界があるンだもん。ひとりひとりが向き合う小さな哀しみ。
その陰に隠れてる、ささやかなしあわせ捜したい。
お酒を飲まない空いた時間で、このホームページを立ち上げたコーチャンです。

「旅のお土産話」として、トラウマ事件?に関わる話しを、始めに綴ってみました。
長い、ながーい話しにおつき合い下さって、ありがとうございました。

これから先、どんなことがあるか誰にもわかりません。
が、新しい年、2004年が平和な良い年でありますように!
万人の願い共に祈りつつ。

YES誌・より
皆様、良いお年を!
そして、来年もどうぞヨロシク!
コーチャンより

本当に皆様のおかげで命を大切にすることを学びました。
そしてこのホームページを立ち上げ色々パソコンの知識も学びました。

今回文章をアップしている間にも世の中、おそろしいスピードで変わってきていますが、
この事故で出会ったカピンガマランギ環礁の人々から、
そして旅で出会った沢山の人々から、
また自然から、不変なる大事な物事を教えて頂きました。
この二人は幸せ者だと感じています。
また違った形でこのHP更新して行く予定です。
よろしく!!

YES誌・より
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