旅のお土産話トップへ戻る   旅のお土産話 vol.10

=HINANO帰国、そして=
4月21日


08:00
エイジアン・ハイビスカス
横浜・大黒埠頭着岸。
旅路はポナペ〜グアム
〜釜山〜神戸〜横浜
の長い航海。
「HINANO、おかえりなさい!」無事だったか?
例の甲板長がシブイ顔で言った。「やはり、船台が壊れたよ、、、」「エッ!どこで?」
「大島沖で、大時化に遭って。でも、HINANOのそばにはいつも見張りを付けてたし、
前もって補強もしといたからね。大丈夫、無事だったよ」「どうも、アリガトウ!!」
キールを支えていた材木の厚さは15センチ、ひなのの体重は支えきれなかったようだ。
ポンペイ寄港時とはエライ違いや。人も、物も慌ただしく動いている船内。
輸出入アレコレ関係者なンだ、彼等は。船員さんはのんびりムード。
物の出し入れは業者が担当してるようだ。HINANOのマストはここから陸送になる。
運送会社はその名も「三九(サンキュー)運輸」。
HINANO本体は、役人が乗艇して通関手続きをするのでそれまで海上で待て、というお達し。
本船から吊り降ろされ日本の海に浮かんだHINANOを、エイジアン・ハイビスカスの後方岸壁にもやって、役人を待つ。
通関が済めば、横浜ベイサイド・マリーナの「ステップ・マリーン」へ曳航される段取り。
曳航用のモーターボートもすでに待機している。
ところが、である。この岸壁は頑丈な大型鉄船用だったのだ。険悪な波打ち寄せ、壁面はカキ殻でトゲトゲ、、、
船が通過する度に曳き波であおられフェンダー(緩衝材)ハネ上がり前後左右揉みクチャ、、、。
埠頭の上から見てるだけで船酔いしそうな不規則な揺れで岸壁に叩きつけられるHINANO。繊細なチビ船にはまことに不向きな岸壁。

激しい揺れに対応するため、甲板上でボートフック握りしめるコーチャン。
そのうち潮が引き始め、岸壁下方はナント大きくえぐれており、HINANOを飲み込める程の空間がカキ殻と共に、
まがまがしく口を開けていた。もし、あそこへ突っ込んだら、、、、、。大波の度にコーチャン必死の対応。「お役人、一刻も早く来てくれ!!」
そのうち、協和海運本社のH氏登場。

ポンペイからのはじめの電話を、ヨットマンだった彼が受け取り、協和海運としては前例のないヨット船積みが実現したのだ。
「アリガトウ!、、、しっかし、この惨状ナントカならんの?」「わかりました、善処しましょう。ま、ガンバッテ下さい」
H氏去り、曳航用のモーターボートも「また、連絡下さい」と引き返した。
もう昼過ぎ、おまけに雨、、、。ここは日本、見物人はいない。大揺れのHINANOを一人庇うコーチャン。
「陸上班」のツーセとしては、「早くナントカしたく」ごった返す本船に何度も足を運び、尋ねるがラチがあかない。
広い大黒埠頭を、行ったり来たり、、、。でも、みんな自社の仕事で手一杯。忙しい、、、、ここは、日本。

そのうち、わがマストも三九運輸のトラックに載せられ、去った。「頼んまっせ、サンキューさん」

・・・・・今だ揺れ続け、待ち続けるHINANO・・・「ソンナばかな、おかしい、あんまりだ!!」
自社の仕事を片付けくつろいでいる本船の一室、日本人詰め所?で誰彼なく掴まえ訊いてみる。
「そりゃ、変だ」と、電話で調べてくれ、「通関はOK、役人は来ない」コトになった。
ナンデ今頃!とムカツクが、今は日暮れ前に「ステップ・マリーン」へ着くことが先決。曳航を依頼。

本船用のビットは、間隔が開いている。荒波に揺れるHINANOは岸壁のはるか下。
荷積みが終わり、トラックも去った大黒埠頭、ガランとして人影なし、、、、。

ヒマそうなサンダル履きのおっさんが一人いた。モヤイロープを外して頂けないか、お願いしてみる。
このお方、実は、「刑事」で朝から『密入国者』を張ってたんだと。ハンチングの下で眼孔が鋭く光った。
張り番の刑事サンに見送られ、夕暮れの大黒埠頭を後にした。

コーチャンの手のひら、皮がズル剥け、、、目は潮で真っ赤、、、
「HINANOをここで壊すわけにはイカン!」何がなんでも突っ張らにゃ!この日が一番キツかった。と、後日の弁。

=HINANO復元=


17:30 ステップ・マリーン着、峰さんがにこやかにモヤイを取ってくれた。うれしい。

上架されたHINANOの傷跡は、海中やビデオで見るより、ずっと痛々しい。
キールボルトの錆びの赤い流れは、HINANOが血を流してるようにも見える。
横浜の「ステップ・マリーン」でマスト立て、キール、舵、プロペラ直しなど大手術後、
油壺の主治医「ABS」にて完治予定。
多くの人の手を経て復元されるHINANO。
海に浮かび、海を走る元気なHINANOになって私達や、仲間達の夢を水平線の向こうまで運んでください。

今回の事故で、悔やまれることは多々。
そのひとつが「保険」
赤道近辺ともなると、目ン玉飛び出る金額なので、グアム以南は「ヤメテシマッタ」これが「シマッタ!」
身から出た錆とはいえ、ひとり娘を救うため、お粥ススル日々、、、。
ソンナ私達に、「HINANO募金」が手渡された。アリガタイことです。
持つべき者は友です。一部を「三宅島救援募金」に。
ごめんなさいHINANO、そしてこれからも、どうぞよろしく!
「お手伝いはありませんか?」
「HINANOのために、なんかしたいんだけど・・・」
仲間うちから声が上がった。
プロの手に任せるだけでなく、何か出来ることはないか?
5月21日 HINANO帰国から丁度一ヶ月後の日曜日、
横浜ベイサイド・マリーナ、ステップ・マリーンに有志が集まった。
目的は「マスト磨き」 
マストが地上にあるうちに、皆の手できれいにしよう!というわけ。
擦って、磨いて、洗って。
18mのマストのテッペンとか、そうそうさわれるもんじゃなか。
まして、こげんこつして、みンなで磨いたり、洗ったり、めった、できんバイ。
・・・・と思わずお国コトバが出てしまう楽し〜い水アソビ。
仲間のヨットが、おでんの大鍋運んで来た。おやつの差し入れも、ドッサリ。お天気もゴキゲンな一日。
島の人達や、マイクロ・グローリーが好意で抜いてくれたマスト、今、日本の仲間の手で「真っ白」になった。
ありがとう!HINANOは「しあわせもん」です。




6月5日、HINANOは再び海に浮かび、「真っ白」なマストが立った。
大手術を終え、5日後、仲間と共に主治医の待つ油壺「ABS」へ向かった。
7月上旬、完治したHINANOは濃い霧が立ち込めるなか、ホームポート富浦へ帰港。
昼前にその霧も晴れ、乗員10名の気分も晴々!木更津の友達艇、ココロがやって来た。
モーターボート、ヴォイスの足舟もとんできた。「おかえりなさい!」「タダイマーッ!」
青空の下、みんなで記念写真。
「めでたし、めでたし」

・・・・・と、いうわけにはいかず・・・・
夏を楽しみ、秋風も満喫していたHINANOが、突然の浸水騒ぎ。
排水ポンプとバケツリレーで排水。キール付近?から謎の浸水。
アレコレ調べた結果、スケグ工法の勘違い作業と判明。師走に入ってステップ・マリンへ戻ったHINANO。
その間、「お礼」の品々を集め、カピンガマランギへ贈った。
購入した物以外に、使わなくなったフィン(足ひれ)、水中メガネ、シュノーケル等が寄せられ、有り難かった。
仲間の好意が、夢の様な珊瑚礁の海で島の誰かに愛用されてると思うと、ウレシイ。

明けて2001年1月6日新年初セーリング。ステップ・マリンからABSへ。
林大明神様の祝詞により、うやうやしく?トラウマ退治の儀。静寂な油壺湾内、柏手の音が響く。
が・・・・その後も小トラウマあり。冷蔵庫のガス抜け頻繁、プロペラシャフトの振れ等。
気分的にもこのトラウマを退治したく、小笠原航海を計画。

199918 Sail Dream
1999年発表作品
Sail Dream 6
4月末〜ゴールデンウイーク過ぎ)憧れの小笠原航海ということで定員8名ぎりぎりイッパイ。
ニュージーランド回航も含め3度目の小笠原。
懐かしい人達、迎えてくれたイルカや鯨の親子。また会える!
4月28日13:00 ワクワク気分をどっさり積んでABSより出航。
途中から風、真向かい。強い潮流も行く手を阻み、うねり、波6〜8mで豪雨。
叩かれ続けるHINANO、1日でやっと100マイル(180km)。
船酔いで完全にノビてる者もいる。
翌日深夜、目的地変更、八丈島神湊港へ転進。未明、風速15m、大うねりの中八丈石積ケ鼻灯台視認。
4月30日05:20着港。 サラリーマン諸氏が空路帰京した後も大雨、大時化延々・・・・。
おしゃべりも温泉も飲み屋も飽きた、と島唯一?のビデオ屋見つけ、シアター「HINANO」で時を過ごす5人。
雨降りのダラダラ時間・・・。
5月5日 やっと雨が上がり、曇天の中ダイビングを楽しむ。
プロのインストラクターがメンバーのひとりで心強い。「さみぃ〜、寒〜!」ダイビング。
5月6日07:20出港 「御蔵島ではイルカに会えるし、一緒に泳げるヨ」「えっ?ホント!」
目的地は「御蔵島」経由「新島」となった。途中、カツオをゲット、イケイケムード満点。

1999年発表作品
with Dolfhins

生まれて初めてイルカ遊ぶ海で泳いだ、というより、漂った私。
「そんなとこで、ナニしてんの、こっちで一緒にアソビましょ」と、目で誘ってくれたイルカ。
潜れないよ〜、私。
イルカ達はHINANOが気に入ってフネにくっついて遊んでいた。
ドルフィンスイムをマスターして、いつか御一緒したいもんです。
15:30 イルカとお別れ、帆走開始。夕方、カツオ豊漁(3匹)。
住民不在の三宅島に街路灯、煌々と灯り、その眩しさが哀しみを誘う。
あの「お好み焼き屋」のおばちゃんはどうしてるかしら?
雄山の噴煙が夕暮れの空を白く覆っていた。
22:09 新島着岸  
5月7日 ここはカッチャンのシマ。
お馴染み民宿の車を借りて、島内観光、温泉巡り。
5月8日 新島〜ホームポート富浦
5月9日 片付け、下船

1999年発表作品
Sail Dream 2

かくして、トラウマ退治航海ならず、コーチャン艇長の中でますます育ってゆくトラウマ。
嵐の海乗り切って、全員無事、戻る勇気出してよかったね!と思う三等クルーの私でしたが・・・。
次回12月でこのシリーズのお話おしまいです。

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